21世紀の逆集団就職

リストラにおびえる時代に

かつて高度成長の華やかなりし頃、「集団就職」という言葉があった。

表日本と呼ばれた地域へ今では過疎地になって久しい地域から大量の若者達がまとまって同一企業へ就職していった。 都市部の大学に進学し、そのまま都市の住人になった者も含め、島根県を去った人々は昭和期の三十年間で何万人いるのか筆者は知らない。

日本が戦後、世界の中で力をつけるには工業化とそれに附随する国土及び国家機構のインフラ整備が早急に求められていた。 そしてそれには当時「金の卵」と呼ばれた若者達の労働力が不可欠であった。 現在その世代が40代後半から60代前半、平成不況の中でリストラにおびえ次の仕事を模索する人々もこの世代が中心になっている。

今みえてくる事は、都市部で中高年の労働力が余っているという現実。
そして、その人々の古里とも言える過疎地、特に中山間地ではさらに人口流出が加速され、耕作放棄地が増大している。
一方に労働力が溢れ、片方で労働力が足りない。そんな時代背景の中でIターン、Uターン、脱サラ帰農、定年帰農などの言葉を見聞きする機会が増えてきた。

安全な食物、自然回帰、生涯現役マイペース、田舎暮らし。 新規就農ブームである。いや「時代のうねり」なのだろう。 そこにはそれぞれの動機があり、妻や家族を説得してのロマンを抱いた就農である。

厳しい現実の中で

しかし現状は厳しい。初年度から就農前と同等の収入を確保できるような例は皆無に等しい。

半額でもキープできれば賞賛に値する。事前に研究を重ね、研修受講、農業体験等準備を怠らなかった人であっても設備投資、住宅の手当てなどで初期数年はそれまでの蓄財を取崩す生活である。家族のカが試される時期でもある。

数年かかってようやく地域社会になじみ何とか商品になる作物を生産できる時期が来る。

だが、その作物を既存の市場に出荷しても専業農業だけでの収入は期待値には届かない。

50歳で就農した者が55才になった時に、はたして何パーセントの人々が納得のいく農業生活を送れているのだろうか。

いずれ統計数字が現れるだろう。しかし、再度述べるが彼らの現実は厳しい。

自治体及び関係外郭団体は定住就農を呼びかけ説明会等をくり返す。 一定数の人々が農業を始める。何割かの人々はそれを早い時期に諦め都会に帰る。

住んでいた不動産等を処分し新生活に投資してしまった人々が再転業もままならず歯を食いしばって続けているのが現状なのではないだろうか。 「こんなはずではなかった。」

何故このような事になるのか。彼らが甘かつたといえばそれまでであるが・・・ ここでもう一歩踏み込んでみる。

今多くの自治体で行われている方法は乱暴に述べさせていただくと、募集、農業指導、耕作地と住宅の斡旋、資金援助までである。村社会での孤立を防ぐための企画はあまり開かない。

そして何よりも彼らの作物が高く売れるための市場創出はほとんどなされてこなかった。中国に向けてセーフガードが発令される時代である。多くの専業農家でさえ、高収入になるマーケットがあれば、飛びついているはずである。他にマーケットはないのだろうか。

結論

前置きがいささか長くなってしまった事をお許し願いたい。結論は明白である。

高度成長期と逆の事をすれば良いのである。都市から中山間地への逆集団就農である。 中でも大企業から特定区域への人材受け入れである。

煎じつめれば広瀬町字マツダ、仁多町字三菱、吉田村字NTTを創る事である。 そしてそこでできた米、野菜、加工品は直接出身母体の企業内生協等を通じその従業員家族に食べていただく。

それぞれの家庭でこんな会話が交わされるかもしれない。「今日の飯はうまいね。」「お米は営業1課におられた沢田さん、ブロッコリーは総務課長だった石田さんの畑から、企画室長の堀江さんのところは今年からお味噌も来てるのよ。」

「食」においては顔の見えている関係が何よりも大切である。不具合があった場合でもクレームをどこに持ってゆけば良いのかはっきりしている。誰が食べるのか知っていれば、安易な出荷はできない。企業内食堂でこれらの食材を使うとどうなるだろう。多少コストがかかっても安全な食事によって従業員の健康レベルは向上する。疾病が減少しうっかり労災も少なくなり、仕事の質もあがるはずである。食材のコストと後者のメリットを比べた時、冷静な意識があれば選択は自ずと決するはずである。

かくして中山間過疎地に企業専用のファームが誕生する。

大企業が千人の希望退職者を募る。漠然と田舎暮らしの方が良いと思う者は百人を下らないはずである。目の前に字○○という具体案(リスクの明示をきちんとする)を示されれば50人は心動かされる。その内25人は実際に字○○候補地で農業研修を受けてくれるかも知れない。

彼らは2~3年の給与保障(退職前研修費、公的支援金)を受け、実地体験を積む。 農業に従事する喜びはもちろんだが、その生活の困難さもきちんと理解していただく。

そして覚悟の定まった10人とその家族に定住をお願いすれば良い。目途がつけば研修期間中から家族にも農業を知っていただく。始めから大企業の胃袋を満たす事はとても難しい。それでも周辺の農家の生産する安全な食材でバックアップは可能なはずである。

小さく始めて大きく育てる事が大切だと思う。字○○はそれまで連休ともなれば人込みの中で散財してきた企業従業員達のレジャーの質をも変える可能性を秘めている。

グリーンツーリズムである。研修施設を拠点として農業体験をしていただく。

それに加え島根は温泉が多いのも魅力の一つである。施設ではその地の食材を中心にした献立を提供し宿泊は在来農家が有料で受け入れる。

農家は消費者のニーズや不満を学び、ツーリズム参加者はマーケットに並ぶ1本百円の大根の不条理に自ら気付かされる。最近、地方交付金、道路税問題等、郵政民営化、都市部と田舎の対立が目につく。グリーンツーリズムの場でお互いの実状を伝え、理解し合う事がこれから益々求められる。お互いのコミュニケーション不足による対立は不幸である。グリーンツーリズムによってそのような感情の一部でも解消できれば消費者と生産者とのパイプはさらに太く育つ。

今、中山間地の農業を支えている人々の平均年令は80代に入ろうとしている。その地へ平均年令50才の血を導入する。それまで消費者であった人々。おそらく民間企業においてITやマーケットリサーチ、流通知識に関しては鍛えられた人々。

出身企業との人脈を持った人々。そのような新しい血が中山間地に根付く事によって様々なアイデアが産まれ、地方の再生が実現してほしい。研修施設の運営団体は何にするのか。学齢期の子ども達を抱えるこの世代が簡単に地方移住に動いてくれるのか。

受け入れる側が抵抗なく耕作放棄している土地を提供してくれるのか。

このプランが実現するには難問が山積みしている。仲介する者が汗を流し歩きまわり現場の声を聴き、知恵を絞り、情報を集めれば道は開けてくる。

中山間地を抱える自治体が両方の立場に立って、ねばり強く、誠意を持って取り組めば全国に例をみないシステムで中山間地農業は復活できる。

「人材がない。予算がない。冒険はしたくない。」という被害者意識的発想からは何も育って行かない。

中央から流れてくる金が確実に減少する中で、自ら産みだそうと努力すべき時代が始まっている。全国の地方で様々なアイデアが試され、実現している。うまくいっているアイデアに追随しても軌道に乗る頃には時代遅れになっている事が多いのだ。

2000年7月1日 三島昌彦